1980年代より、本名の湊広子として子役?アイドルとしてタレント活動を行う。映畫『別れぬ理由』(1987年)に津川雅彥の娘役で出演。映畫『湘南爆走族』(1987年)にも織田裕二の妹役で出演。
1988年家族で渡米し、米國デビューを目標にマネージメントや歌、ダンスのレッスンを開始。 1989年11月1日日本で「Meet Me At Midnight」ビクター音楽産業でCDシングル、12inchシングル(アナログ)でデビュー
1990年代初頭に、父のマネジメントの下、アメリカデビュー。その後アメリカ?イギリスなどのダンスチャートで、ハウスミュージックを主體としたシングル「My Love's Waiting」がランクインし、日本に逆輸入という形を取ったポップス?シンガー。
『dance dance dance』のジャケットには「HIROKO THE QUEEN OF HOUSE MUSIC」ともあることで分かるように、當時アメリカで流行していたハウスミュージックをバックに激しいダンスを交えるステージであった。
米ソ「ソングライターズ?サミット」にシンディ?ローパーらとアメリカ代表として參加。モスクワなどの音楽祭などにも多數出演し、松田聖子の海外進出にも影響を與えた。
日本への逆輸入後は、CASIOのワープロのCM?花王のCMや、講談社文庫のブックカバー(モスクワでサインを求められた時、けっこう感動しちゃいました。)など各種媒體に出演。テレビで特別番組も組まれた。
米映畫ミラクルビーチ(パット?モリタ主演)(1992年)にもミス日本役で出演し劇中自身の曲「24 7 365」をパフォーマンスするシーンもある。